昨日3/17付のしんぶん赤旗で
「全国初 鳥取県が手話言語条例を制定」の記事を読み、
「おぉ!」と思って切り抜いておきました。

(改めて検索したら、2013年10月9日にも記事になっていました。
昨年の記事は見落としたようです。。)

「手話は言語である」という自明のようなことが

2013年9月、鳥取県で「全国初」制定、
2013年12月、石狩市が2例目。市町村では初めての制定だそうです。

手話を言語として位置付ける行政の取組みが遅かったことに驚きながらも、
条例制定やメディアが取り上げることによって
聴覚障害者や手話への理解が進むことはうれしいことだと思いました。

本当は条例に制定しなくても、みんなの当たり前の共通認識であればいいのですが。

鳥取県の条例では手話の意義は、こう説明されています。

手話は、独自の言語体系を有する文化的所産であって、
ろう者が知的で心豊かな社会生活を営むために
大切に受け継いできたものであることを理解しなければならない。


もっともです!

詳しくは鳥取県ホームページをご覧くださいね。


1880年に国際会議でろう学校では口話法(読唇・発声練習等)を教えること、と決議され
1933年には、ろう学校での手話の使用が事実上禁じられたそうです。

手話を使う事を厳しく制限された様子や、ろう者が置かれた弱い立場が描かれた
山本おさむさんの漫画『わが指のオーケストラ』がお勧めです。
蓮田図書館にもありますよ。




私は10年ほど前に手話講習会に通い、初級と中級を卒業しました。
(上級に行く前に妊娠し、上級の受講は断念しました。)

国や地方によっても手話表現に違いがあることも、その時知りました。
国によって言語があり、地方によって方言があるように。

私は初級の講習会で初めて教わり、ちょっと驚きました。
今思うと、手話=言語という認識が甘かったんですね。

講習会も、交流会と称した飲み会も本当に楽しくて、
手話を夢中で覚えて、ろう者と交流したあの頃。

記憶に強く残っているのが下記の講師の言葉です。

「ろう者は災害の時、何が起こっているのか把握するのが遅れ、
逃げ遅れたりすることがあります。
地域のろう者と知り合いになって、火事や災害の時には
ひと声かけられるような関係をつくってほしい。」

「みなさんの講習会はこれで最後ですが、
ろう者はこれからもずっと手話を使い続けます。
これからも手話や聴覚障害者にできるだけ関心を持ち続けてください。」

今思い出して、改めて心に刻みました。

蓮田に引っ越してからも手話を学びたいと思いつつ、
その時間や機会がないまま現在に至るのですが…

今日3/18、偶然にも耳の不自由な方とお会いする機会がありました。

知人の紹介で「耳が聞こえない方だよ」と聞いていたのですが、
名刺と自己紹介のリーフレットをお渡しすると
「ありがとう」の手話をしてくださいました。

「耳の聞こえない方」でも手話ができる方とできない方がいらっしゃるので、
「あぁ、この方は手話ができる!」とわかったら、思わず
「私も以前手話を習いました。よろしくお願いします。」と手話でお話していました。

「どこで習ったの?」

「文京区です。」

「東京の?手話上手ですね。」

「そう、東京です。ありがとうございます。」

「がんばってくださいね。」

「お会いできて嬉しいです。本当にがんばります!!」

と話がはずみました。

久々の手話でしたがコミュニケーションできて、本当にうれしかったです。
その方もとてもうれしそうに手話してくださいました。

もっともっと学んで、たくさん交流したい!要望や思いをお聞きしたい!
市政でもお役に立ちたい!という思いがふつふつと湧いてきました。


鳥取県の手話条例では県の役割として

・手話を学ぶ機会の確保

・手話を使った情報発信

・学校における手話の普及

・事業者への支援

などが明記してあります。


蓮田でも参考になりそうです。

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